日本の建築を見直そう 5
「色付の角柱」を使った長押のない古書院では、欄間が古風な「箴欄間」であり、張付と同じ模様の唐紙に取り付けられた襖の「引手は横長丸型」銅製で簡素で大らかな意匠でした。
「色付の面皮柱と色付小壁」に床の間に墨絵の張付壁のある現状の中書院は新御殿の造営と共に改造された姿ですが、「欄間が木瓜型」に変化し、画の描かれた襖の一の間の「引手は角立の木瓜型」、二の間と三の間の「引手は花菱や唐草」の日本の伝統を幾何学的に図案化したものになりました。
「色付の面皮柱と面皮長押」に模様唐紙の新御殿では、「欄間が月の字」を桟木にした木材を組合せて表現したものとなり、唐紙の「引手は月の字型」で幾何学的なものから離れたものになってきています。
また、新御殿で付け加わったものは、面皮長押のために採用された「水仙の釘隠」でした。
さらに、上段には、上部の細かい格天井や市松に杢目の方向をかえた格間の板の意匠があり、櫛形窓を持つ付書院と銘木を集めた桂棚がありました。
ところで、とくに一の間と二の問の境の意匠の古書院と中書院・新御殿との問の変化は、桂離宮の書院群以外にも他の山荘や休息所で起きていた可能性があります。
たとえば、有名な「月の字型の引手」は、正保元年(1644)頃に西賀茂に営まれた一条恵観山荘に筆の異なる「月の字型の引手」となって使われています。
また、慶安2年(1649)に紀の川辺りに建った徳川頼宣の別荘では、探幽や安信をはじめとする狩野派の淡彩の絵画を多用していました。
これは、探幽と尚信と安信が画を描いた桂離宮の中書院から最長の幅を見込んでも8年しかたっていません。
しかも、この臨春閣は、三屋からなる桂離宮に匹敵する数寄屋風書院群です。
こうした例を偶然の一致と見るか時代の流れと見るかは、大変に難しいことです。