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   <title>まずは初心に戻って！</title>
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   <subtitle>安全と健康を気遣おう～のブログ</subtitle>
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   <title>サッカーの統括組織</title>
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   <published>2011-10-21T02:54:57Z</published>
   <updated>2011-10-27T03:03:17Z</updated>
   
   <summary> 現在の連合王国を構成しているイングランド、スコットランド、ウェールズへ北アイル...</summary>
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      <![CDATA[
現在の連合王国を構成しているイングランド、スコットランド、ウェールズへ北アイルランドの4つの地域は、もともと独自の文化や慣習や伝統をもつ別々の国でした。


そのために、たとえ現在億合体しで一つの国(国家)になってはいても、それぞれが独自に行動したり他の地域とは異なる独自性を発揮したりすることは珍しくありません。


スコットランドの銀行がスコットランド内だけで流通する紙幣を発行しているのはその一例です。


フットボールの世界でも事情は同様であり、4つの地域はそれぞれに独自性を発揮しています。


イギリスにフットボール・アソシエイションができたことが現代のサッカーの出発点となり、同じくイギリスにラグビー・フットボール・ユニオンができたことが現代のラグビーの出発点となりました。


厳密には「イギリスに」ではなく「イングランドに」ですね。


・・・というのは、<a href="http://www.alma-japan.com/" target="_blank">サッカーユニフォーム</a>やサッカーの最初の統括組織であるフットボール・アソシエイションも、またラグビーの最初の統括組織であるラグビー・フットボール・ユニオンも・・・


国(国家)としてのイギリス(連合王国)全体を統括する組織ではなく、あくまでもそのなかのイングランド地域を統括する組織だからです。


・・・このような事情が背景にあるので、ここではこれ以降あいまいさを避けるために、「イギリス」と「イングランド」とを区別して用いることにします。


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   <title>コンピュータの進歩</title>
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   <published>2011-09-19T09:48:37Z</published>
   <updated>2011-09-19T19:55:03Z</updated>
   
   <summary>事実最近のホームコンピュータの進歩は、現在、占星家たちに彼ら自身のコンピュータ革...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://loi-robien.net/">
      <![CDATA[事実最近のホームコンピュータの進歩は、現在、占星家たちに彼ら自身のコンピュータ革命をもたらしています。


その結果はおそらく、科学と、他の何でもないような占星術との出会いを容易にするでしょう。


わたしたちは、基本的誕生チャートが、誕生時における星座、惑星、宿をどのように示すかを知った。


このチャートから、占星家は、伝統的には、上昇中の星座、各惑星が位置する星座と宿、惑星の相を確認し、各要因の個々の意味から、次の節で示されるように、全般的解釈を注意深くつくり上げるでしょう。


これまでのところは、あらゆることが驚くほど論理的で直裁的のようです。




＞＞<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>


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   <title>危険を早く発見する</title>
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   <published>2011-06-22T09:31:42Z</published>
   <updated>2011-07-05T09:32:10Z</updated>
   
   <summary>危険を早く発見するには、合宿免許での訓練以外に方法がありません。 その訓練は、必...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://loi-robien.net/">
      <![CDATA[危険を早く発見するには、<a href="http://www.menkyo-pts.jp/" target="_blank">合宿免許</a>での訓練以外に方法がありません。


その訓練は、必ずしも教習所だけで行うものとは限りません。


他の車に同乗したとき、歩行しているときなどに、意識的に交通状況を観察することも有効です。


安全確認の手順ですが、車のまわりをまわりながら前後左右、車の下もよく確認します。


車の右側から乗車するときは、


a.車の横に立ち、後方および前方のほか、まわりの安全を確認する。


b.車の後部で車の下を確認する。


c.車の左側を見ながら前へまわり、前方を確認する。


d.前方で車の下を確認する。


e.車の右側へ出るとき、さらに前方、後方の安全を確認する。


f.ドアの前に立ちながら、後方、前方の他、まわりの確認をする。


安全確認は、単に見るだけではいけません。


では、何に注意するかを考えてみましょう。


a、e、fでの後方確認は、後方の四輪車、二輪車、自転車や歩行者の動向などを確認します。

a、c、e、fの前方確認は、前方の四輪車、二輪車、自転車や歩行者の動向などを確認します。

b、dの車の下の安全確認は、車の下に子供や酔っ払いなど、人がいないか、異物がないかなどを確認します。

a、c、fのまわりの安全確認とは、車の下の人や異物、車に異常がないかなどを確認します。


この安全確認は、この細目だけで行うのではなく、毎回の教習で行って習慣づけなければいけません。


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   <title>どこで眠るか</title>
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   <published>2011-04-09T03:31:31Z</published>
   <updated>2011-04-21T03:31:51Z</updated>
   
   <summary>小動物の場合、成熟して老齢になるまで生きていたければ、起きている時間が短ければ短...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://loi-robien.net/">
      <![CDATA[小動物の場合、成熟して老齢になるまで生きていたければ、起きている時間が短ければ短いほどよいのです。

睡眠はたいへん危険な状態だ、とよく言われます。

無意識でいると、危険が忍び寄っても気づかないからです。

でもどこででも寝てしまうというなら、そうかも知れませんが、じつはそうではありません。

ヒトも動物もどこで寝るかに最大の関心を払います。

人であれば<a href="http://www.bederabi.com/" target="_blank">ベッド</a>や布団で、動物であれば巣穴やベッドの代わりになるものを作ってそこで寝ます。

睡眠本能は行動に影響を与えて、可能なかぎり最も安全な場所を求めさせ、どの面から迫る危険も最小になるよう取り計らうのです。

多くの鳥は、高い岩棚だの近づきにくい枝の上で眠ります。

ネズミやウサギは穴の中に退きます。

キツネは巣穴に引きこもります。

集団生活をする動物は群れをつくります。

カバは水の中に潜ります。

ゴリラや大型ネコ類のように恐いもの知らずの動物だけが、ときに丸見えの場所で眠ります。

それ以外の動物については、睡眠は潜伏、隠蔽、安全の時間であって、危険のある時ではないのです。]]>
      
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   <title>情熱と才能</title>
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   <published>2011-02-28T06:15:13Z</published>
   <updated>2011-03-08T20:55:03Z</updated>
   
   <summary>子供特有の心理もあり、ケラーはくり返して練習するのが好きでした。 同じ本を暗唱で...</summary>
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      <![CDATA[子供特有の心理もあり、ケラーはくり返して練習するのが好きでした。

同じ本を暗唱できるまでくり返しくり返し読むケラーのことばに対する熱情は、「霜の王様」事件によく反映されています。

次の2つの物語の初めの部分を比べながら読んでみてください。

上の2つはちょっとした表現の違いはあるものの、同じ物語です。

1つはよく知られた童話で、他はヘレンの「創作」として出版された物語です。

物語の内容が自分の一部となってしまったヘレンは、自分のアイディアと信ずるようになりました。

盗作は不名誉な罪となります。

まったく無意識に自分の物語を書いたケラーの心に、「霜の王様」事件は幸福な子供時代の1つの汚点となっていつまでも心に残りました。

この事件から読者はヘレソ・ケラーのことばに対する異常な情熱と才能を知ることができます。

<a href="http://www.espritline.co.jp/bs/" target="_blank">石川遼　英語</a>の上達もやはり努力する才能と情熱なのではないでしょうか。]]>
      
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   <title>嗜好と栄養</title>
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   <published>2011-01-31T03:00:00Z</published>
   <updated>2011-02-01T03:30:16Z</updated>
   
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      <![CDATA[エネルギーは別として、栄養素の生理的必要の充足が、文化によって規定される性質をもつ心理的満足を媒介することによって成り立っているのだとすると、次の課題は、人びとの食事における心理的満足の内容を分析することである。

分析にあたって、最初にとりあげるべきものは、味覚と嗜好の問題であろう。

人間が感知でき、識別できる味の種類とそれらが組み合わされた状態とに嗜好がどのように対応しているかをまず知らなければならない。

亜鉛欠乏によって味覚の閾但に変化が起こることが知られているが、その状態のときにどんなものを食べたくなるか(すなわち嗜好の変化)については、系統的な研究は見あたらない。

ことによると土食症とよばれ、土を食べる状態が生じるのは亜鉛欠乏によるものかもしれない。

亜鉛だけでなく、他の二価の金属イオンもまた味覚の閾値の変化と関係があることが知られている。

単に亜鉛だけでなく他の金属の不足も土食症に関係があるのかもしれない。

嗜好に関連して、人びとがいかなる食物をおいしいと感じるのか、あるいは考えるのかが重要である。

また、嗜好の有無に関わらず栄養摂取のできる<a href="http://napure.jp/" target="_blank">モリンガ</a>のようなサプリメントの存在も忘れてはならない。]]>
      
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   <title>日本の建築を見直そう　8</title>
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   <published>2010-10-19T01:10:52Z</published>
   <updated>2010-10-19T19:55:03Z</updated>
   
   <summary>一段落ちた次の間八畳は、二重の隅釣棚を持った二間の付書院があり、天井の平縁が小壁...</summary>
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      一段落ちた次の間八畳は、二重の隅釣棚を持った二間の付書院があり、天井の平縁が小壁を境に逆方向になって付書院と平行します。


また、次の間の周囲の障子は、低い腰板に中桟一本が入っています。


そして、障子の上は鴨居になり長押はありません。


聴秋閣は、書院造の要素を変形させることで成り立っているようです。


たとえば、付書院を持っていながら、それを室内側に食い込ませます。


そして、本来ならば壁でとまるはずの一間ちょっとの地板の端の部分には、擬宝珠の付いた短い柱と手摺を用意しています。


ただし、角長押のような書院造の要素は、一部に残存しています。




      
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   <title>日本の建築を見直そう　7</title>
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   <published>2010-10-09T01:10:23Z</published>
   <updated>2010-10-09T19:55:03Z</updated>
   
   <summary>横浜三渓園に現存する、「聴秋閣」。 この建物の前身は、元和9年（1623）に佐久...</summary>
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      横浜三渓園に現存する、「聴秋閣」。


この建物の前身は、元和9年（1623）に佐久間将監が二条城内に建てたといわれる閣です。


上の間は、四半敷きに四角い板が敷かれた合を含んでいます。


そのために、腰板付きの障子と欄間が入口にとられます。


欄間の桟は、外側が斜め二本の交叉型で内側が二本の十字型。


正面四尺五寸の床の間は、手斧仕上げの権の畳床で糸面の角柱を床柱とし、床張付が葵のある唐紙です。


付書院は、室内側に食い込んでおり、外側で平書院のようなおさまりになります。


天井は、平縁で板目の天井板が使われています。


そして長押は、角長押。


小壁は、僅かに色の付いた仕上げで次の間との聞に欄間がありません。


上の間と次の間の境の襖は、一間二枚の引達いで葵で栗型の引手になっています。


こうした模様と栗型の引手は、繰り返し他の襖にも使われています。


      
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   <title>純金コイン</title>
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   <published>2010-09-30T05:25:07Z</published>
   <updated>2011-06-30T05:28:19Z</updated>
   
   <summary>②貴金属②純金理想的には一人当たり三キロ欲しい。 これなら、国際的な変動があって...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://loi-robien.net/">
      <![CDATA[②貴金属②純金理想的には一人当たり三キロ欲しい。

これなら、国際的な変動があっても対応できる。四人家族なら一ニキロになる。

三キロといっても両手に乗るぐらいだから、持ち運びには苦労しない。

それが無理なら、せめて一人一キロ、金額にして一二〇～二二〇万円分は用意しておく。

持ち運びに便利なのは純金コインだ。

一オンス(純金の場合は三一・一グラム)四万円程度で購入できる。

日本では有名コイン商が扱っていて、カナダのメイプルリーフ金貨が人気になっている。

半分は○・五オンスコインにしておこう。小口で便利だ。

しかし、国内で購入すると五%の消費税がかかってしまう。<a style="color:#222; text-decoration:none; font-weight:normal;" href="http://forex2008.blog45.fc2.com/" target="_blank">エグゼクティブトレード</a>によると、香港やシンガポールへ旅行したときに購入すれば、五%の節約になる。

しかも、銀行窓口なら一時間ごとの金相場の価格で購入できるというメリットがある。

その銀行に口座を開いていれば両替手数料もわずかなものだ。
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   <title>日本の建築を見直そう　6</title>
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   <published>2010-09-19T01:09:55Z</published>
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      いま、17世紀の段階で営まれ、現存する別荘または休息所のいくつかの二間つづきの座敷を意匠の面から取り上げて見ます。


それは、ほぼ桂離宮の書院群と同時代であり、公式の対面の可能性の少ない建物です。


こうした変形を理解するために、書院造の特徴のあらましをあげてみます。


床柱と柱は、「柾目の角柱で面取」をします。


また、柱の上には、「角の長押」を使います。


床の間には、「蹴込のある板床」。


縁に張り出した「付書院」。


二段の違棚あるいは対称の「千鳥棚あるいは清楼棚」。


張付で房戸のある張台構。


天井までの「金碧障壁画」とそのための張付壁。


「筏欄間もしくは彫刻欄間」。


「格天井と猿頬あるいは棹縁天井」。


柱と角長押の交差部にある釘隠は、「六葉型あるいは熨斗型」。


襖の引手は、「縦長の楕円形」などが特徴とされています。




      
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   <title>日本の建築を見直そう　5</title>
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      「色付の角柱」を使った長押のない古書院では、欄間が古風な「箴欄間」であり、張付と同じ模様の唐紙に取り付けられた襖の「引手は横長丸型」銅製で簡素で大らかな意匠でした。


「色付の面皮柱と色付小壁」に床の間に墨絵の張付壁のある現状の中書院は新御殿の造営と共に改造された姿ですが、「欄間が木瓜型」に変化し、画の描かれた襖の一の間の「引手は角立の木瓜型」、二の間と三の間の「引手は花菱や唐草」の日本の伝統を幾何学的に図案化したものになりました。


「色付の面皮柱と面皮長押」に模様唐紙の新御殿では、「欄間が月の字」を桟木にした木材を組合せて表現したものとなり、唐紙の「引手は月の字型」で幾何学的なものから離れたものになってきています。


また、新御殿で付け加わったものは、面皮長押のために採用された「水仙の釘隠」でした。


さらに、上段には、上部の細かい格天井や市松に杢目の方向をかえた格間の板の意匠があり、櫛形窓を持つ付書院と銘木を集めた桂棚がありました。


ところで、とくに一の間と二の問の境の意匠の古書院と中書院・新御殿との問の変化は、桂離宮の書院群以外にも他の山荘や休息所で起きていた可能性があります。


たとえば、有名な「月の字型の引手」は、正保元年(1644)頃に西賀茂に営まれた一条恵観山荘に筆の異なる「月の字型の引手」となって使われています。


また、慶安2年(1649)に紀の川辺りに建った徳川頼宣の別荘では、探幽や安信をはじめとする狩野派の淡彩の絵画を多用していました。


これは、探幽と尚信と安信が画を描いた桂離宮の中書院から最長の幅を見込んでも8年しかたっていません。


しかも、この臨春閣は、三屋からなる桂離宮に匹敵する数寄屋風書院群です。


こうした例を偶然の一致と見るか時代の流れと見るかは、大変に難しいことです。


      
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   <title>日本の建築を見直そう　4</title>
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   <published>2010-08-19T01:08:43Z</published>
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      数寄屋風の意匠は、多少の誤解もありますが、日本人の好むところとなり、現代における和風住宅を構成する最も重要な意匠となっています。


昭和このかたの大都会のサラリーマン住宅においては、例え洋風であっても、その底流に流れているのは数寄屋風の意匠でした。


ごく最近では、住宅以外の様々な建物等でも、その基本には数寄屋風の意匠があると考えないと理解できないでしょう。




桂離宮の書院群については前回語りました。


しかし、数寄屋風を二間つづきの座敷という視点でとらえるためには、桂離宮の建物の時代毎のきわだった変化のあらましを再度辿ってみる必要があります。


その増築の過程は、元和元年(1615)からの古書院、寛永18年(1641)から増築された中書院、後水尾上皇の御幸を迎えるための万治三年(1660)以後に建てられた新御殿の三期に分けられます。


このそれぞれ20年前後の間に三つの殿舎の一の間と二の間の欄間のある境は、どのような変遷をとげたのでしょうか。


      
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   <title>日本の建築を見直そう　3</title>
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      桂離宮の柱は、面を取った角柱です。


通常、貼付壁や襖障子に、障壁画を描きます。


これに対して、土庇を設けたり、色土壁、様々な意匠の勾欄を設け、欄間、・釘隠・引手の意匠にこるのです。


木部には色付を施し、面皮の柱や長押(長押はつけないことが多い)を用います。


数寄屋風の書院が、武家住宅や院御所・摂関係住宅につくられています。


そのような書院は、最も表の対面の場につくられることはなく、表の書院につづいてつくられ、茶などの会に使われたりしています。


典型的なのは京都の曼殊院の小書院で、曼殊院では、大書院にも数寄屋風の意匠が取り入れられています。


そして、この書院の数寄屋風の意匠は広く拡まり、農村では庄屋など村役人の家の書院などにも用いられるようになりました。


また、遊興の場にも影響を及ぼし、京の遊廓島原の角屋や、文政年間に整備された金沢の東の廓のお茶屋などにその例をみることができます。


      
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   <title>日本の建築を見直そう　2</title>
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      色付は昭和の初めまで、数寄屋の手法として伝えられていました。


桧でつくられた格式の高い書院造以外では、木目や赤味、そして節などを隠すために、木部に黒っぽく着色していました。


すすやべんがらを調合して色をつくったそうです。


布などにつけて塗り、すり込みます。


年月を経過すると、自然に樹液が酸化して黒くなったのと区別がつきにくくなり、また外廻りやよくさわる所では風化等でなくなってしまいます。


それに、昭和に入って自然な木の色を好む風潮が出てきて、色付はすたれ、その技法は一般には失われてしまいました。


書院は、すべてが数寄屋風の意匠でつくられているわけではありません。


主要な書院は典型的に書院造です。


柱などの材は桧で、色付を施すことはありません。


      
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   <title>日本の建築を見直そう</title>
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   <published>2010-07-10T01:06:12Z</published>
   <updated>2010-07-10T19:55:02Z</updated>
   
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      お茶屋の中に入りますが、規模が大きくよく知られているのが桂離宮です。


この桂離宮も、はじめは瓜畑の軽きお茶屋と呼ばれていました。


その頃の桂離宮の書院群は、今、古書院と呼ばれている部分だけだったと思われます。


しかし、古書院だけといっても、麻の間のある主室、月見台を縁先にもつ次の間、入側縁、輿寄や囲炉裏のある部屋、そしてその裏にもう一部屋、それに昔は台所までついていて、生活ができる広さでした。


この古書院は、柱などの色付、色土壁、唐紙の貼付と襖障子、面皮柱など多くの点に数寄屋風のつくりの特色を備えています。


貼付壁や襖に当る唐紙障子に使われている木版で模様を刷り出した唐紙は、もとは中国大陸から伝来した紙という意味でした。


それが色紙、模様紙を指す名称となったのですが、唐紙は裏向の御殿に貼られたり、屏風の裏の紙として使われていました。


江戸時代に入って大流行となりますが、ひとつには表ではなく裏、即ち簡略化した時に障壁画にかわって使われる性格が流行の一因でした。


障壁画を絵師にたのむと芸術家ぶっでなかなか仕上ってこない、そして出来上るまでどんな絵かわからない、絵師にも困ったものだというような趣旨の小堀遠江守政一の書状が残っています。


そんなことなら始めから図柄や色がわかっている、唐紙の方がよほどましだ、と言わんばかりの手紙です。


      
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